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岡田斗司夫FREEex『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』を読みました

昨日発売の岡田斗司夫FREEex『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』を読みました。
発売日に大学生協で売っていました。「就活生が多い現代の大学に挑発的なタイトルを並べるなー」と思い、タイトルにのせられてついつい買ってしまいました。

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本文はまず、現状の分析から入ります。個人的にはこのパートが一番面白かったです。 「もう就職できないかもしれない」と題された章では、現代がITという黒船が来航している維新の時代だとして、幕末~明治との共通点から、そもそも構造的に就職が難しい時代であり、それにこだわることに対して疑問を提出します。幕末~維新の時代には列強の接近によって幕府や藩が急速に崩壊しました。そのような時代にあっては時代を読んで自分で道を切り開くことが必要であったのですが、新撰組のように、潰れかかった幕府に「就職」することにこだわった層がいました。当時の武士は君主に仕え(就職し)て初めて武士になれたのですが、これが最後のチャンスとばかりに平民身分からも新撰組に入隊する者もいたそうです。結果は時代を読めていなかったがためにハコダテの五稜郭で全滅という悲惨なものでした。現代、自分だけはなんとかうまくやって企業の正社員として雇われようとしている層は幕末~明治のこの層に等しいということでした。なぜならば、現代はITの急速な発展と機械化によって産業が合理化・自動化された結果、仕事の数自体が減っているため、構造的に求人が減るし、昨日まであった職種も例えばamazonの行動ひとつで消し飛んでしまうことが日常茶飯事だからです。現代の就職戦線は沈みかかった船の中で席次を争っている状態だと言えるのかもしれません。 次に筆者は「みんな正社員として働かなければいけないと思い込んでいるけれど、そもそもそんなにお金って必要なのか?」と問いかけます。このあたりの問題意識はノマドで有名なイケダハヤトの『年収150万円で僕らは自由に生きていく』にも共通していますね。岡田氏もイケダハヤト氏と同様、モノを譲ったりシェアしたりという方向に閉塞した時代の打開を見ています。人と人との関わり合いを増やすということですが、変形家族のような血のつながらない人同士が家族であってもオッケーというところがモダンです。 その後、お金に捉われない価値観や、岡田氏肝入りの概念「評価経済」の説明に移ります。時代が変わり、「お金を稼ぐかどうか」という価値基準から「他人のためになにかをする」という価値基準への移行が始まっているようです。そのための具体的な提言として ①仕事サーフィン:50ほどの小規模の仕事をする。収支は月3万円~赤字まで様々 ②愛されニート:余裕のある人から援助を受けられる関係を持ち続ける生き方 の2種類の新しい生き方を提言しています。 最近多くなってきている「お金に捉われない生き方」「シェアする生き方」「就職を考えなおす」というテーマ上の本ですが、さらっと読めてそれでいて面白いです。周囲の人から「常識だ」と言われることと180度違う意見の本を読むことは、心が軽くなってストレス解消を目的としてもいいと思います。 参考文献『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』 岡田斗司夫FREEex著 PHP新書

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岡本太郎『自分の運命に楯を突け』を読みました

『自分の運命に楯を突け』を読みました。
太陽の塔で有名な芸術家、岡本太郎氏の本で、少し前にベストセラーになった『自分の中に毒を持て』の続編にあたります。さて、本書での著者の主張は一貫していて、「他人からの評価を気にするな」「リスクをとれ」「成功なんか目指すな」といったところでしょうか。こうしてまとめてしまうと何だか素朴で心もとない感じですが、著者の書く言葉には独特の力強さがあり、読者の心を高揚させます。この本は書かれた内容自体というよりも、岡本太郎の言葉に高揚させられる体験を売る本なのだと思います。同じ内容でも語る人によって自分の中に響くものが違いますよね。岡本さんの言葉は特に迷いの多い、若い世代に届きやすいんじゃないかと思われます。
元々1979年~1981年に雑誌の人生相談コーナーで連載されたQ&Aを編集して書籍の形にしたものなので、30年以上前に書かれたものなのですが、編集の力もあって、承認欲求や功利主義、虚無感が広がる現代に対する鋭い言葉に溢れている本に仕上がっています。

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さて、「芸術はバクハツだ」などの発言をメディアが面白おかしく切り取ったこともあって、奇人・変人のイメージが強い岡本氏ですが、本書『自分の運命に楯を突け』および『自分の中に毒を持て』を読んでみると、それもある一貫した思想に基づいた行動であったことが浮き彫りになってきます。どちらの本にも著者の自伝的なパートがあるのですが、小学生の頃から独立した個を発達させていて、当時の不合理な教師に反抗を繰り返して転向を1年生の間だけで4度もしたことから始まって、著者自身が自分の信じたことだけをやろうと固く決心していることが書かれています。さらに18歳で画家になろうとパリに渡った著者ですが、当地に溶け込まないとならないとの考えから、フランス語を習得してソルボンヌ大学に入学し、社会学・哲学・人類学を勉強しています。現地の人達と対等に「人間同士として」付き合い、哲学者ジョルジュ・バタイユと親友となったり、多くの女性と恋愛をしたりと、まさにパリに溶け込んで多くのものを吸収しています。僕の通っている大学からも海外の大学に留学していく人達がいますが、その人達に聞いてみても、現地語で大学の授業を受けることはかなりハードルが高く、ヨーロッパの人と対等に会話することもかなり難しいそうです。そのことを踏まえると岡本氏は実はかなりのインテリなんですね。
このようにして、第二次世界大戦のため日本に帰国してからの岡本氏は、それからも「人間全体として生きること」をそれまで通り実践していきます。その過程でTVなどに出ることもあったようですが、公共の電波を通してコミュニケーションできる(はがき等で反響があった)ということを「友達になれた」と表現し、芸術の本質であると見なします。絵画に法外な値段がついたりして一部の人間の占有物になっていることに異を唱えて、自分の作品を売らず、公共のスペースに設置するなどの行動をしていた岡本氏にとって、マスコミュニケーションは新しい芸術のプラットフォームに思えたのでしょう。

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さてこの「友達」概念、現代のFacebookにおける友達概念に似ていると思います。浅い人間関係だと批判も多いSNSの友達概念ですが、岡本氏が存命だったら意外に積極的に使っていたのではないでしょうか?僕らの住むネット社会はバクハツの可能性を秘めているかもしれませんね。

参考文献:『自分の運命に楯を突け』 岡本太郎著 青春出版社
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堀江貴文・田原総一郎『もう国家はいらない』を読みました

2日前に発売となった『もう国家はいらない』を読みました。
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ジャーナリストの田原総一郎と実業家でホリエモンこと堀江貴文の対談本です。全体を通して(現在のような複雑かつ巨大な)国家不要を唱える堀江氏に対して田原氏がその理由を質問、堀江氏が質問に答えるという形式で進行していきます。

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まず堀江氏の基本的な問題意識として、「グローバル化によって、国境に縛られない企業やアノニマス(意思を持った個人の集団。イスラム国等)が力を持ち、中央集権的な国家はそれらに対して対処する術を持たない。だから旧来の政治で現状を変えるのは無理」というものがあります。
そのため、現在国民国家が担っている機能を民営化して、最終的に国には所得の再分配機能だけが残ればいい、と結論づけます。そういえば以前ニコニコ動画で堀江氏は東浩紀氏らとベーシックインカムについて議論していました。ベーシックインカムとは国民全員に配られる最低限の収入保障で、イメージとしては国民全員に生活保護が配られるような感じなのですが、堀江氏はベーシックインカム完全推進派でした。先述の所得の再分配機能とは具体的にはベーシックインカムとして、国民の相続税などから全国民に富を再分配することを指すのでしょう。
さて、ニコニコ動画の際にはこのベーシックインカムは現在の電子マネー(にタグ付けしたもの)で配るという主張をしていた堀江氏ですが、この本の中では更に進んだ考えを展開します。その核になるのが、ビットコインです。ビットコインは実質本書のテーマといってもいいくらい重要なキーワードでした。ビットコインとはインターネット上で取引される仮想通貨で、最近は中国やロシアが規制するなどして話題になりました。このビットコインを導入することで、現在の貨幣制度にとって替わると堀江氏は確信しているようです。つまり、円もドルもセントも廃止されて全てはビットコインに移行するというわけですね。当然ベーシックインカムもビットコインのデータとしてパソコンなりスマホに送金されてくるのでしょう。
子どもの時から慣れ親しんできたコインやお札が無くなるとは、にわかに信じがたい話しですが、それを信じがたいと感じさせるものが共同幻想というものらしいのです。つまりお金は「みんなが価値あるものだと思うから価値があるものとして通用する」ということですね。お札は冷静になって考えればただの紙切れです。しかし多くの人がそれを価値があるものとして受け入れているからこそ、安心してお金と他の財を交換することができます。皆で幻想を見ているわけですが、これを可能にしてきたのが中央銀行とそのバックにつく国家に対する信頼でした。「日本国が発行しているのだから信頼できる紙幣だ」という感覚ですね。だからお金の本質は紙幣やコインの、紙や金属という物質的な側面にあるのではなく、金額という数字データの側面にあるということです。この数字データが何を表すかというと、信頼を表しているということでした。お金が多く集まる・多くの給料をもらうということは本質的にはそれだけの信頼があるということを示します。データなのだからWEB上でやりとりできるというわけでビットコインが出てきたのですね。
さて、ビットコインが導入されるとなぜ旧来の貨幣制度がなくなるかというと、ビットコインには、それを管理する中央銀行が必要ないからということです。なぜかというとビットコインは信用の調達が旧来の貨幣と異なるからです「日本国発行だから安心」ではなく、これまでの取引履歴をWEB上で全世界に公開し、「一番長く取引が続いているビットコインが正統である」という市場から自然発生的に調達される信用を用いるところがビットコインの特徴です。こうなると中央銀行も必要ないということになり、国家の機能がまた一つ不要と結論付けられてしまうのですね。

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堀江氏は政治ではなく、技術で世界を変えようと決心しているとのことです。この本もビットコインという新技術を全面に押し出してラディカルに世界を変えようという野心的な試みだと思います。
インターネットとWEBの登場によってもしかしたら我々は1000年に一度の歴史の転換点に立ちあっているかもしれない、ともぐっていた先の社会学の教授が言っていましたが、本当にこれから国の形が全世界レベルでどんどん変わっていくのかもしれないですね。
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『文系大学院生サバイバル』を読みました

『文系大学院生サバイバル』を読みました
岡崎匡史著。ディスカヴァー携書の新書です。著者は日本大学法学部を卒業し、日本大学大学院で博士号を取得。さらに在学中アメリカ留学を経験するなどしている人です。日本の文系大学院で博士号を取得することの難しさ(社会科学で10%程度、人文系で7%程度の取得率)を考えるとかなりの経歴と考えていいのでしょう。
本書の構成を僕なりにざっくり3つのパートに分けて要約すると

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Aパート:文系大学院に入学することが、いかにその後の人生にとってリスクの高いものであるかを示し(博士号取得率の低さ、仮に取得しても就職すらままならない現状)さらに入学できたとしても複雑な人間関係・権威主義的な構造などが待ち受け非常にストレスフルであることを書く、反・文系大学院のススメ。もしそれでも大学院に入るならば博士号を取得するまで文献を読むことと論文にアウトプットすることだけを考えて、ストイックに生活するべし。人間関係で足を引っ張られることに関しては学会誌への論文掲載などの実績を積み重ねていくしかない。博士論文審査に供えて審査1年前には論文の核の部分は完成させて学会誌へ投稿しておく。

Bパート:情報的に海外から取り残されている日本・博士号取得すらままならない日本の大学院に居続けるのではなく、英語を身に付け、覇権国家たるアメリカの大学院に留学することを説く、留学と英語のススメ。このパートは英語の勉強の仕方やアメリカの大学に提出する推薦状の書き方の例など、技術的な内容が主。

Cパート:再び日本の大学院の現状について、貧しい非常勤講師に支えられる大学の構造批判や学内政治について、セクト化する日本の大学・学会の現状分析が書かれる。最後に日本の大学・学会に対して具体的な提言として、「大学の空洞化・教育のアウトソーシングからの脱却」「大学制度の全廃」「理念なき改革からの脱却」「文部科学省解体」「奨学金拡充」「博士のキャリアパス拡充」「教養教育の復権」「反知性主義を唾棄すること」の8つを掲げている。

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以上を読んで、まず、「方向性がややぶれていて読みづらい」という印象でした。文系大学院のことを扱ったAパート・Cパートに挟まれて、英語学習書なBパートがあるため、特にBパートは言い方が悪いですが「看板に騙された」気分が拭えず集中力が落ちます。英語の学習方法ならば他にそれ専門の良書が沢山出ているので、無理に量的・質的に中途半端な英語学習法を挟むよりも文系大学院について集中して書ききってほしかったという感想です。博士号を取るためには最終的にパソコンに向かって書き続けること、という継続は力なり的な結論は結局多くの分野で言われていることなので、やはり正しい努力の方向を純化すると「まずは量。それから質」というのが本質なのかもしれませんね。

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臨床心理大学院生活のリアル

臨床心理学の大学院生のリアルな実態を書こうと思います。
臨床心理学専攻の大学院生というのはどういうことをしているのか?ということに、興味がない方は全くないでしょうし、興味のある方から見ると守秘義務の壁で外からは見えづらいと思われるのではないでしょうか?まあこれは守秘義務が原因ばかりではなく、どこの専攻でもおそらく似たり寄ったりで、かくいう僕も他の専攻の大学院生、例えばフランス文学とか社会学とかがどんな日常を送るものなのかはほとんど何も知りません。学部の頃はまだ教養教育も大切という観点から他専攻の授業も簡単にとれたのですが、大学院からはセクト化が進みそれも一気に面倒な手続きを要するようになることも原因でしょう。

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さて結論から言ってしまうと、当の臨床心理学専攻の学生たちですら「自分たちはこれこれこういうことをやっている」と明確に言えないというのが正直なところです。どういうことかと言いますと、例えば「自分はフロイトの理論にのっとって臨床をするためにフロイトを研究する」というようなタイプの院生はまずいません。僕はできればこういうアプローチをしたいのですが、実際にこういうことをしようとすると「それでは生身の人間は分からない」とばかりに失笑を買うことになります。
では具体的にどういうことをしているのか?その解答はまず学年が1年生か2年生かで大きく分かれます。まず修士の1年生はひたすら実習、それに加えて大学での授業というところです。
実習先は精神病院・小学校・大学の相談室の3つが基本セットです。そのほかに独自に臨床系のアルバイト先を探して勉強を兼ねて働く人もいまして、僕も福祉施設でアルバイトをしています。3つの基本セットですが、これは受け入れ先によって大きくやることが異なります。まず精神病院ですが、これが一番バリエーションが大きいです。実際の患者さんとの面接を一部担う形態から、文字通り一日中何もせずひたすら病院で過ごすという形態まで様々です。ただ、どの病院にも共通する(あくまで僕の知っている範囲ですが)特徴は、精神病院のスタッフや職場環境が
実習生に対してブラックであるということです。毎年、理不尽な叱責で泣かされる人や体調を崩して出てこれなくなる人が発生しており、大体の実習生は幻滅と愚痴しか語らなくなります。僕の実習した病院はひたすら自分からは患者に話しかけず一日過ごす形態だったのですが、何故か更年期の女性スタッフに昼休みにロックされた挙句、「延々なぜ黙っていたのか」と叱責され続けた思い出があります。最初のオリエンテーションで自分から話しかけないように言われたのでそうしていたのに、そのことで怒られるとは・・・意味が分からないので適当に聞き流しましたが、真面目に受け取ってしまう人にとってはきついでしょうね。狂気の世界です。ちなみに一番やばいという噂はやはり医師です。僕は実習の構造上、医師の方とご一緒する機会がなかったのですが、同期の院生は実習先の医師に毎回パワハラを受けている状態でかなり辛そうでした。はっきり言って先述の僕が行った実習先はまだまだホワイトなほうだったのです。
次に小学校ですが、これは比較的、実習先の環境としては恵まれていると思います。教師の方も割と実習生には優しいですし、子供が好きな人にとってはよりいいでしょう。基本的に授業の補助的な役割ですが、明確にやることが決まっていないので何をしていいかよくわからないことが多いです。また子供が苦手な人にとっては、カオスな空間で丸一日を過ごすことになりますから、ある程度覚悟はして行ったほうがいいでしょう。
最後に大学の相談室での実習になります。これは大学に来談したクライエントの方を実際に担当して、教官の指導を受けながら心理面接のやり方を学んでいくものです。いわゆる臨床心理士・心理カウンセラー的なイメージに一番近い時間かもしれません。教官の指導内容は千差万別でその教授がどのような理論に依拠しているのかや、教授個人のキャラクターに大きく左右されます。ここでものすごく目を開かれたとかそういう体験はしたことがないので、過大な期待は禁物です。あくまで人間のやることなのだ、と考えていたほうがいいように思います。
次に授業です。これは文献を読んでゼミ生皆で意見・感想を言うタイプや講義形式の後にゼミ生が意見・感想を言うものがありますが、どちらも大した違いはありません。臨床心理学は哲学や数学と違って、論破も証明もないので議論をしてもどこまでもメタな話になってしまって収集がつかない、そのためか、基本的に意見や感想は言いっぱなし、発表もやりっぱなしです。そのようなぬるい環境のせいだと思うのですが、発表のクオリティーはピンキリで、テクストの分析から独自の考えを発表する人もいれば、本文そのままを写してただ読み上げるだけの人まで様々です。コメントは基本的にJポップみたいな夢見がちなものが多く、ポエマーの作品発表に近いかもしれません笑
そして週1でケースカンファレンスというものがあります。これは院生と先生が一同に会して、学生が発表する面接記録について様々な意見やアドバイスをする会です。しかし修士の1年生には発言権がないどころか、先輩や先生たちと同じ席に着く権利すらなく、部屋の隅に狭苦しく並べられたパイプ椅子に座ってひたすら会の様子を見続けます。これは単なる陰湿ないじめだろうと自分が修士1年の時は文句を言って一時期改善を得ましたが、年度が切り替わったら、なぜか元の仕組みに戻っていました。その際先輩や教授から満足のいく説明は得られず、こんなオワコンな臨床心理学教室でさえ謎の権威主義がはびこっていて、無意味な上下関係の誇示ばかりが行われるのだということだけが分かって、僕はさらに大学院から足が遠のき、単位をとる最低限のことをする以外はひたすら自分で選んだ本を読むという学習に切り替えます。
一応修士2年生についても書いておくと、授業は1年生と共通の物を週に1~2個とるのとカンファレンスがある以外は基本的に自主的に修士論文を進めるだけで、拘束時間は一気に減ります。(ただしこれはうちの大学のことについてで、大方の大学は2年生で実習が始まるという時期の違いがあります)

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以上、僕が見てきた臨床心理学学生の生活についてざっくりと触りだけを包み隠さず書きましたが、ソースは僕の周辺と、実習先で一緒になった他大学の学生の話です。同現象を見ても個人によって感じ方は異なるので、別の人が記述すればだいぶ雰囲気も変わるかもしれませんが、僕個人としては、臨床心理学専攻の大学院はオワコンなので、心理臨床をやることにある程度こだわりがある人以外には行くことはおすすめできないです。

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HIKAKIN『僕の仕事はYouTube』を読みました

『僕の仕事はYouTube』を読みました。先日Yahooニュースでも取り上げられていた有名Youtuber、HIKAKINさんの初著作ということです。Youtuberというのは、簡単に言うと、Youtubeに動画をアップロードしてそこから収益を得ている人のことですね。パートナーシップという契約を結び、動画の閲覧数に応じて収入が得られる仕組みです。初期投資がほとんど要らず、リスクも少なく一般の人も始めやすいことから新しい副業、人によっては本業として人気が高まっているようです。

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だからと言って、今から普通の人が参入してまともな収入を得ようと思うとかなり厳しいだろうなぁと感じてしまいました。Google、Amazonに象徴されるネット社会では、一極集中とその他大勢という図式が起こりやすいからです。つまり人気のあるサイト、ページに対するアクセスが集中し、その他の類似コンテンツは浮上がほぼ不可能な現状では既にHIKAKINの築いた牙城に対して、同じようなことをやってもあまり期待はできないのではないでしょうか。特にドットコムバブルが終了した現代日本ではネット社会でも格差が起こっていると言われています。著者のHIKAKINさんはYouTubeパートナーのはしりの頃からの先行者であり、さらに、アメリカのTV、CBSニュースに取り上げられるという、前回の記事で書いたリアル世界でのブレークスルーを経験して日本のネット界でもブレークしています。さらにそのブレークから、ブレークの種明かしをしてリアルでの著作出版を呼び込むという正のサイクルに入っています。こうなってくると後続の人間ができることはコンテンツの差別化ですが、関連書籍が出され、Yahooニュースで取り上げられ注目がさらに増し、同じようなことをする人間が急増する今となっては相当バカなことをやるとか、リスクを取らないとアクセスを集めることは難しいと思われます。何事もまず少数でインテリジェントなリーダー層が参入し、その後フォロワー層が大量に流入して陳腐化するとある社会学者が言っていましたが、恐らくYouTuberの世界は今その過渡期でしょう。
なんだか夢のない話になってきてしまいました。だからと言ってもちろん僕はYoutuberはやめたほうがいいなどと言うつもりはありません。工夫と努力次第でニッチな需要を掘り起こせる可能性はもちろんあります。僕自身はYoutuberに参入するつもりはありませんが、先述のリアル社会でのブレークスルーを何かの形で起こしたいと試行錯誤しています。2年前くらいから行動に移してもいるのですが、現実は中々厳しく、まだまだ日常から脱出するめどはたっていないまま、学生が終わろうとしていますね笑

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本日発売だった文藝にも載っていましたが、新人賞の受賞には書き始めて最低5年はかかるそうです。動機は不真面目でも何かを実現するためには真面目な継続が必要ということですね。継続は力なり。自戒を込めて。

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『ツイッターとフェイスブックそしてホリエモンの時代は終わった』を読みました

『ツイッターとフェイスブックそしてホリエモンの時代は終わった』を読みました。

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93年生まれのベンチャー企業の社長、梅崎健理・通称ウメケンの本です。ついに年下が一線に出てくるようになってきましたね。本書にはいくつかの主張が含まれているのですが、今回はその内の一つ。「TV>ネット」であるとされる影響力や取材のクオリティについて書きたいと思います。確かにネットは急速に広まり、我々の生活に深く浸透しているようですが、取材・発信について責任を持った主体はTVや新聞であり、ネットは無責任に情報が拡散するため、裏付けとして旧来のメディアは重要であるし、そもそもTV単体の影響力はいまだメディアのトップであるとされています。
僕がこの章を読んですぐに頭に思い浮かんだのは、投稿サイトで見かけるインディーズ作家の方々ですね。インディーズ作家というのはアマチュアに分類されるのかプロに分類されるのか微妙ですが、参加人数が多い投稿サイトで目立ってアクセス・被閲覧数が多く、ランキングなどでもトップに居ることが多い人達です。僕のブログが良い例ですが、普通、何の実績も無い学生がブログをやったところでアクセスはせいぜい一日数十です。そんな大量の「普通の人」がひしめくネット世界で目立っているインディーズ作家の方々はやはり実力があるのですが、その実力の示し方にポストモダン的な、『ツイッターとフェイスブックそしてホリエモンの時代は終わった』的な特徴があります。例えば「文藝賞の2次に通過した」などを売り文句にするインディーズ作家の方が居ます。2次に通過というのは受賞とは違うのですが2000篇近い応募小説の中から、有名出版社の人によって選ばれた40数篇に入ったということですから、少なくとも普通の人以上の小説が書けるということを出版社(旧来メディア)が保証したと考えることができます。その旧来メディアからのお墨付きを持ってネット社会に参入すると、普通では考えられない注目を集めることができ、作品に多くアクセスしてもらえ、評価も得やすくなる。ここに至ってネットの誰とでもつながれる性質やダイレクトに発信が可能である性質など、ネット社会の長所を享受できるようになるわけです。

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こうして見てくると、ネットは広がりはあるけれども自立するには至っておらず、ネット社会で一定の成功や注目を集めようと思った場合、旧来の仕組みの中で何かしらのブレークスルーを経験することが必須なのかもしれないですね。その実績を持ってネット社会に参入すれば、これまでとは違った世界が広がる可能性が高いのではないでしょうか。ネットは可能性として誰にでも平等ですが、可能性を現実的なものに高めるためにはリアル世界でのブレークスルーというパスポートが要るというわけです。
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『タタール人の砂漠』を読みました

『タタール人の砂漠』を読みました。
イタリアのカフカことブッツィアーティの作品です。岩波文庫から出ております。とても面白いので実際に読んでみて欲しいなーと思います。さて、テーマを僕なりにザックリ要約してみると、「人生これから新しいことが起こって変化があり、本番が始まるんだ、と思っている間に人は年をとって死んでしまうのだ」というところでしょうか。暗いですね。でもこの暗いテーマを扱いながらも秀逸な描写で読者を引き込み最後まで読ませてしまいます。
この作品でのテーマの扱われ方を僕の私生活に応用してみたいと思います。

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この作品では物語の舞台がある要塞になっており、全編通してほとんどそこから動くことはありません。それならその要塞はよほど忙しかったり、魅力的だったりするのかというと、全くそんなことはなく、むしろ主人公は、赴任して即異動したいと上官に直訴するほど退屈でさびれた場所なのです。しかし、数ヶ月いる間に要塞の空気に影響され、次第に要塞に居続けることにこだわるようになり、いつしか古株になっていきます。さて、この間、主人公が夢見ているのは、要塞の向こうに広がる砂漠から伝説的なタタール人が攻めて来て、武勲をあげることでした。ここまでを抽象化すると、単調な人生を過ごしていても、これから何か劇的な出来事が起こって本当の人生が始まると信じて、現状を変えようとしない姿といえるでしょうか。
僕の勤めているアルバイト先の書店も経営が苦しいらしく、人員を削減したり社員からの締め付けが厳しくなったりと、労働条件は年々悪くなっているように感じるのですが、なぜか店に自分がどれだけ貢献しているのかを誇っていつまでも残っているアルバイト古株組がいます。かくいう僕は店で一番の古株なんですが、ブラック化する店に愛想が尽きて惰性で週1のシフトを続けているだけの状態になっています・・もちろん辞める人も増えていますが、残っている人の傾向を見てみると、やっぱり生真面目で他人から褒められることをアイデンティティの拠り所にしている人・真面目にやっていれば報われるはずだと信じている人が多い気がしますね。かつての僕もそういう下積み原理主義的な考え方を持っていました。有給を消化しないでほしい、とか労働基準法に反している提案をする店長に対して、「そこは店長の都合で」とご機嫌をとる古株アルバイターを見ると、この『タタール人の砂漠』や『不思議の国のアリス』などを思い出して、狂気の世界にさまよいこんだのかと思ってしまいます。いや、そもそも現実も狂気にあふれているのかもしれません。人は合理的判断のみである場所にとどまるにあらず。不合理なある種マゾヒスティックかつ夢見がちな動機でひとつの場所にこだわることがあるのだと思い知らされました。はっきり言って人生は不条理でありかつ何もない。このことを正確に書いている『タタール人の砂漠』は確かにイタリアのカフカと呼ぶに相応しい作品だと思います。

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本当の芸術というのは、人生に何もないことをわれわれに思い知らせる作品だ、と三島由紀夫も書いていましたが、その観点から『タタール人の砂漠』はとても優れた作品といえるでしょう。

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『10日もあれば世界一周』を読みました

『10日もあれば世界一周』を読みました。光文社新書で吉田友和さん著です。
この著者は『3日もあれば海外旅行』という新書も書いているらしく、その続編的な位置づけのようですね。

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タイトルに偽りはなく、著者が連休と有給を組み合わせて10日間の休みを作り出し、その間に台湾・タイ・インド・エチオピア・ポルトガル・ニューヨーク→日本と本当に大西洋と太平洋を渡って世界一周旅行を達成しています。さて、気になる旅行のお値段ですが、著者も使い、この本でプッシュされている「世界一周航空券」なるものは30万円前後で購入できるようです。折り返しが難しかしい等移動の制約があり、10日目以降でないと最後の国際線に乗れなかったりと、時間にも多少の制約があり、各アライアンスごとに条件が細かく異なるようですが、そのような条件も著者は工夫次第でクリアしていきます。特にアメリカから日本に戻る国際線への搭乗日がどうしても出発後8日目になってしまい、旅行の出発自体が危うくなった事態を切り抜ける場面は痛快です。著者は「裏ワザというほどのものではない」と謙遜しますが、この発想は旅慣れしている人じゃないと出てこないものではないかと思いました。具体的には、世界一周航空券の出発国を台湾にすることで、最後の国際線が東京→台湾になり、東京に戻ってくる線に対する時間的制約を突破したわけですね。航空券の有効期限内に今度は台湾旅行に行くつもりという著者の気転にあっぱれです。

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さて旅行の内実ですが、猛烈にハードです。特に序盤は、早朝に成田を発ち、台湾につくなり弾丸観光して、泊りもせずタイへ移動。夜に着き繁華街を楽しんで一泊といったように宿泊しない国があったり移動の時間が早朝や夜だったりします。そもそも日程的に連泊は最後の滞在先、アメリカまで一度もないというめまぐるしい旅です。読んでいるこちらはわくわくしますが、やるほうはやはりきつい部分もあったみたいで、著者はアメリカで軽く体調を崩してしまっています。しかし、この著者は御年40歳手前であり、例えば体力だけは有り余っている男子大学生だったりすればむしろ冒険気分も味わえて結構面白いかもしれません。きつそうとは言っても、現地の人とのかかわりや、高級ホテルに宿泊してみたりと、楽しそうな部分のほうが多いくらいでしたので、『希望難民御一行様』で話題になったピースボートでさえ普通に乗ると世界一周199万円であることを思えば、自分で旅行のアレンジもできてこの値段はある程度アリかもしれませんね。

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大学の講義にお金儲けのヒントが!?

他分野の授業に出ているうちにお金を稼ぐヒントにぶつかることもあります。

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僕は趣味で他の分野の学部授業にもぐったりしています。履修せずに出席することですね。試験・レポートなどのコストを払わず勉強できるのでお勧めです。単位も出ませんが・・・特に僕の好みは社会学、思想・哲学系の授業です。自分の専門である臨床心理学の授業は正直ポエムっぽくて満足できない部分もあるので、他の分野で知的好奇心を満たしています。さて、ある社会学の授業にもぐっていた時のこと「人と同じ情報を持って同じように行動していてもだめだ。逆張りをして人と違うことをしないと」と教授が話し始めました。その際に学問の原理原則を知っていると良いこともあるそうです。そして以下の①②の例が語られました。
①経済学の基礎として、貿易とは複数の地点での物の値段の違いを活かして、その物の移動によって利益をえる方法である(香辛料をアジアからヨーロッパに運び銀と交換した中世の例など)
②教授は学会でよく海外に行く。奥さんがヨーロッパやアメリカについてきたときに、現地のアンティークショップで大量に買い物をしてスーツケースに詰めて帰国していた。奥さんはそれをヤフオクなどのネットオークションに出品して結構大きな金額を得ていた。
なんと、ロサンゼルスなどの街で配られている無料のクーポンマガジンや、緩衝材として詰めたヨーロッパのミネラルウォーターのペットボトルまで1000円程度の値がついたというのだから驚きですね(短期で旅行に行くOLなどが、少しでも現地の情報を仕入れて無駄のない旅行計画を作成するためにクーポンマガジンを買ったりするということでした)
もうおわかりだと思いますが、あえて説明を付け加えると、この奥さんは知ってか知らずか、経済学の基礎を抑えた行動をとって利益を得ていたわけですね。教授曰く「回数を重ねるごとに方法も洗練されていって、旅費以上に稼ぐ場合まで出てきた」とのことです。お子さんが生まれてからはもうこうしたことに出かける時間的余裕がなくてやっていないそうですが。これは他分野にもぐってみて面白い話が聞けたなあというほんの一例です。僕はお金にはそんなにこだわりがないので、ビジネスのアイデアは別段求めていませんが、それ以外の切り口でも知的好奇心を刺激する話が多く聞けます。他分野の授業に出ていると、自分の専門に出ていただけではまず得られなかったような発想や情報を得ることができます。これがこの教授の話していた「逆張り」なのかなあと思っています。

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後はそうして得た知識をどうやって自分の臨床に活かしていくかですね。それが難しいんですが(汗)
とりあえずこの方法は卒業旅行で実験してみようかな笑



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