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『戦略的上京論』

『戦略的上京論』を読みました。
戦略的上京論.jpg
大学で星海社新書のフェアがある関係で僕の棚にもついつい買ってきてしまい、星海社の本の紹介が続いています。

↓本書の構成です
はじめに
第1章 上京の目的から、住まいを考える
第2章 聖地にとびこめ!
第3章 最初の3ヶ月で、スタートダッシュを決める
第4章 東京をい攻略するために
第5章 リスクを制するもの、東京を制す
あとがき

以下に各章の内容をザックリ要約します。

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第1章 上京の目的から、住まいを考える
・あなたが上京することで、実家には少なからず金銭的に影響がある。家族から「投資」されている自覚をもって、それに見合うリターンをどうやって獲得し家族に還元するかを考える必要がある。
・東京にきた目標を考える。そして行動する。皆と同じことをしていると東京の人口1300万人の中に埋もれるだけである。人に出会うことが大切。
・住む場所は、上京の目的に沿った「聖地」の近く。「大学に近いから」などの安易な理由で東京郊外に住んでしまうのではなく、人生を変えるかもしれない大事な出会いの発生確率を最大化する。
・聖地から「一駅ずらす」ことで学生でも安く終電を気にしない生活圏に入れる。(例)渋谷駅に対する神泉駅など
・入居物件はネットの情報だけで決めず、不動産屋を複数回って、実際に多くの物件を見て決める。地方からくる人でもビジネスホテルを活用しながら数日は集中して考える。
・引っ越しは人生最初の額の大きな投資。適当に選んで失敗しないように。東京は昼夜で雰囲気が変わるので、少しでも泊まって土地勘をつけたほうがいい。
・東京で住む「場所」にこだわる場合「築年数と広さ」は譲歩してよいポイントとするといい。予算的な限りがある中で全て理想通りは難しい。
・東京でも広まっているシェアハウスに住んで様子を見るのもいい。
・若い人間にとって大切なのは人と会う・映画を見る・本を読む…「家の外で過ごす時間」である。家は最低限着替えてシャワーが浴びられて、寝られればよい。

第2章 聖地にとびこめ!
・芸能人になりたい人は「港区」に住む。
・同世代との出会いを望む人は「青山、代官山、中目黒、自由が丘、恵比寿、吉祥寺、下北沢」に一駅ずらして住む、もしくは穴場的な「谷根千」に住む。
・アニメ・ゲーム・エレクトロニクスに興味がある人は「秋葉原」界隈にすむ。総武線で東にいくか、日比谷線で北へいくと家賃が低い物件が見つかる。
・本好きや将来出版関連業界で働きたい人は「神保町」界隈に住む。マスコミ関連の会社に就職するには、アルバイトから入る手がある。
・地方からやってきた若者が多く、地価がそこそこの理想的な場所が「高円寺」界隈。「阿佐ヶ谷」「荻窪」「西荻窪」「中野」界隈も同じ雰囲気。
・「多摩地区」は環境がいいが、都心へのアクセスに難があり、毎日満員電車に乗る必要がある。せっかく東京に住むならば「西の限界」をおおよそ「JR西国分寺駅」に設定するとよいのでは。
・「湾岸エリア」=東京湾に隣接したエリアは都会的で生活感がなく、好き嫌いが分かれる。
・「下町エリア」=台東区、墨田区、江東区、荒川区、葛飾区、江戸川区、足立区。昔ながらの情の残る街に住みたいならおすすめ。
・将来飲食店経営などを目標にしている人は一流店のサービスを体験した方がいい。その意味で「銀座」界隈に集まる一流店でアルバイトをして、一流のサービスを吸収するのがよい。銀座で働くなら中央区の「月島や勝どき」が家賃的にもねらい目。

第3章 最初の3ヶ月で、スタートダッシュを決める
・東京に出てきたのなら、やる前から心配するのではなく、最初は些細なことでもとにかく行動する
・行動するにあたって、LINE、Facebookのアカウントは最低限必須。
・上京しての一人暮らしは孤独に襲われがち、解決策は何等かのコミュニティ・サークルに属することである。
・アルバイトだけに時間を使うのではなく、アルバイトをただ時給で選ぶのでなく、「若い今やるべきことがある」ことを意識して、将来につながるものを選んだりする(出版業界など)。著者自身は学生時代アルバイトばかりしてとても後悔している。その後悔をまとめると以下の通り①「大学4年間マネージャーでもよいから大学のクラブでスポーツを徹底的にやるべきだった。」②「もっと世界を見て回ればよかった」③「もっと沢山の映画を見て、本を読めばよかった」④「もっと恋愛も友達つきあいも、とことんすればよかった」
・「いきつけの~」のように第3の場所・サードプレイスを確保する。

第4章 東京を攻略するために
・資本主義社会でくらしている我々は、資本主義社会のルールや仕組みを知ることで、「資本主義社会というゲームを攻略する必要がある」
・経済学を学ぶことで攻略することは中々難しい、ではどうやってトレーニングするのか?→著者は「株式投資」を勧める。ただし以下の心得・ルールを守って行うように。
心得1.おそらくあなたは極めて高い確率で勝てない
心得2.勝てたとしても一時的であり、それは「偶然」か「まぐれ」である
ルール1.現物取引に限定する。信用取引(借金しての取引)はしない
ルール2.年間で投資する上限金額は限定する
ルール3.上限は20万~30万程度までとする
・株式投資は大いなる実験。身銭を切るのは悪くない。株式投資で勝つためには「経済」「金融」「心理学」「歴史」などなどを深く学ぶ必要があり、株式をやることで否応なく勉強になるしそれは将来役立つ。ただし、マーケットに参加している70%の投資家は百戦錬磨のプロなので、一時的に勝っても勘違いしてはまらないように。
・自己投資が最高にして最も有効な投資
・著者がまず挙げるのは「読書」。読書は最も安価な自己投資
・その次に「一人旅」を勧める。
・さらに講演やセミナーに参加して「この人は!」と思った人の所へ直接話を聞きにいくのがいい。
・TVを見たりゲームをしている時間はもったいない。東京には映画も演劇もコンサートも世界中から一流のものが集まってくるのだから外に出ていき、なんでもトライするべき。
・セレンディピティ(=本書では「良き偶然」的な用いられ方)は人と会うことが基本。様々な人に会っていると偶然人を紹介してもらえたりして仕事を次のステージに進めることができたりする。リアルな世界での雑談が大きな威力を持つ。
・タクシードライバーでその会社における営業成績1番の人は、多くの人がやるようにタクシー乗り場で客待ちをするのではなく、街を走り回っていた。他人と違うことをするという逆張りの例でもあるし、積極的にこちらから出向いていくことの例でもある。今の若い人も、「ネットで全ての情報が手に入る」と言われている時代だからこそ、逆張りの発想で多くの人に会ってセレンディピティを起こすことが、付加価値になり成功につながるのでは。
・人間の人生には浮き沈みがどうしてもある。仕事も同様。だから一人でやっていてはいずれ沈んでしまう。それを最小限に抑えるためにも、仕事を他人とシェアして(うまみを提供・シェアして)いくことで、自分がスランプになっても他の人がカバーしてくれる仕組みができる。できれば自分よりも能力が高いひととタッグを組めれば理想。
・「本当の友人」自分が本当に苦しい時に1か月居候させてくれる・10万円貸してくれるような友人が5人いればこの厳しい時代を生き抜ける。10人いれば独立しても会社を維持できる。20人以上いれば経営している会社を上場できるかもしれない。
人間関係はギブ&ギブ&ギブ&…である。ギブ&テイクは実際のビジネスや人生では役立たない。
・信頼を築くにはまず時間を守ることから。信頼は一つ一つ積み上げていく。ビジネスの世界で成功した人には時間に厳しい人が多い。
・判断するとき、様々なデータを吟味しても迷うことがある。こういう時には直観で決めることになる。直観力を磨くには失敗を重ねておくことが大切。
・目の前の状況・自分の専門だけにしか視野がない人は二流のプレーヤーであり、一流のプレイヤーは目の前のこと以外にも何かあるのではないかと360度にアンテナを巡らす、「捨て目」を利かしている。
・リスク管理は重要。

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第5章 リスクを制するもの、東京を制す
・おいしい話は向こうからはやってこない。(例)東京にいる偽スカウト
・前項と矛盾するようだが、おおいに失敗を重ねるべき。知っているのと体験して理解しているのとでは違う。(例)看護師だった母が入院して初めて患者の気持ちが分かった。
偽スカウトに騙されたとしたら、騙されるとはどういうことかなど実際に学ぶことができる。将来的により大きな詐欺には出会いにくいかもしれない。
・リスクとリターンは等価交換の関係にあるのだが、金融大国の日本の資金は貯金に眠っており、起業率は先進国の中で目立って低い。
・運を制御する…経営をしている人間は「運だけには逆らえない」ということを肌身を持って知っている。だから率先してトイレ掃除をしたりして、運をコントロールはできないまでも何とかバランスをとれないかと考えている。先祖の墓参りの後に苦しい状況を脱する出来事が起こるという事例が重なったと、著者は先輩の塾経営者から聞いた。
・苦しい時こそ「利他」の精神で行動することが実は理に適っている。
・日本の、東京に生まれるということはグローバルな視点で見た場合相当運がよく、まさについているアドバンテージである。
時間こそが最も貴重な資源である。どのように使うか真剣に考えるべき

「感想」
今や地方が最注目され、「劣化版東京を目指さない」地方が脚光を浴び始め、東京もこれから一地方になる可能性も取り沙汰されています。この時代に敢えて中心としての「東京」「上京」に焦点を当てるのはなぜだろうか?そう考えて手に取った本です。(もっとも、逆に東京への一極集中が過熱するという予測もありますが)
そのような観点で読むと、「東京とはどんな街なのか?」それを意識させられる本でした。
僕自身が地方出身者なので自分の上京体験とだぶらせながら考えるとやはり月並みですが「情報量が圧倒的に多く、価値観が多様で様々な人に出会える街」だと思います。これから数の上では人が減っていくかもしれない東京ですが、高度成長期以来に作られた「価値観の多様さ」という一つの文化は、たとえ一地方になったとしても「東京地方」の特色として残り、そのような志向をもった人間をひきつけ続けるのかもしれませんね。これからもセレンディピティに溢れた面白い街であってほしいと思います。

参考文献 『戦略的上京論』 長谷川高著 星海社新書




Office for iPhoneを無料でダウンロードして使ってみました。

Office for iPhoneを無料でダウンロードして使ってみました。
10/7にマイクロソフト社が発表した新しいアプリ、Office for iPhoneは、その名の通り、iPhoneでマイクロソフトOffice(Word、Excel、PowerPoint)が使えてしまうすごいアプリです。しかも普通に使うだけなら無料です。もちろんダウンロード自体も無料。(一部機能を使うためにはプレミアム登録が必要)ちなみにiPad用も無料で同時リリースされています。(パソコンの代わりに使えるという意味で需要はこっちの方が多いかも)

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実は以前にもiPhone用にはOffice for mobileというアプリが無料で提供されていて、僕も試してみたのですが、「Wordらしきもの」は使うことはできるものの、作業画面が本家Wordとは似ても似つかず、縦書きなどにも対応していないなど、使いやすさや機能面でいまいちでした。マイクロソフト社のクラウドサービスであるOneDrive上への保存も、常に作業前後のファイルが両方保存されていたりと「実用レベルじゃないな」という出来。そんなわけで結局僕は「iPhoneでWordを使って大学院の報告書やブログ記事をさくっとどこでも書きたい」という望みをひとまず諦め、Wordが使えるタブレットを探しもとめて、前出のSurface2を中古で買うに至ったわけですが(ちなみに中古surface2は今でも無事にバリバリ活躍しており、バッテリーの持ちもきちんと公称通り10時間いけます。中古市場も侮れませんね。)・・・今回のOffice for iPhone は違います。実際にiPhoneにダウンロードして使ってみると、きちんとしたWordの操作感が得られます。
ワード画面.PNG
上の画像はOffice for iPhoneでこの記事を作成中のスクリーンショットです。
画像を見ていただけるとお分かりのように、テキストを打ち込む白紙部分+上部ツールバーという構成でできており、パソコンでWord編集に慣れている人ならば、ダウンロードしてすぐに直観的に使いこなすことができます。ちなみに僕のiPhoneはiPhone4SでAppleのBluetoothキーボードを使って入力しています。
タッチ一つで編集用に文字に近づいた表示(普通にメールを打つくらいの表示サイズ)と、ページ全体を写す印刷プレビュー状態表示を切り替えられます。
ツールバーには、パソコン版と同じ「ホーム・挿入・レイアウト・校閲・挿入・表示」機能が埋め込まれており、普段と同じ環境での作業ができます。例えばホーム機能でフォントの種類を見てみるとおなじみのMS明朝に始まるOffice互換フォントはもちろん、iPhoneならではのiOSフォントも用意されています。僕がほしかった、レイアウト機能の「文字列方向→縦書き」切り替えも可能になっており、縦書きで編集ができるので執筆活動にも使えるのが嬉しい限りです。
一方で印刷の向きを横向きにすることや段組みを2段や3段に変更することなどはプレミアム機能になっており、有料のOffice365会員になる必要があります。
編集したデータの保存ですが、かつてのOffice for mobile ではOneDrive上にしか保存できなかったため、Officeアプリを使うためには必ずマイクロソフトアカウントを取得して(もっともこれも無料でできますが)OneDriveに保存しなければなりませんでしたが、office for iPhoneでは便利に変わっています。例えばdropboxなどのアプリを使っていれば、そちらのアカウントでOffice for iPhoneを使って、保存もdropboxにできるようです。(僕はマイクロソフトアカウントで運用しているので試していませんが)さらにデータをiPhone本体に保存することも可能です。ファイルサイズは15KBとかなので、最低でも16GBあるiPhoneなら容量的にも問題ないでしょう。
OneDrive上に保存したデータに自宅パソコンからアクセスして編集することも試してみました。こちらも形が変わることなくデータを引き継ぐことができ快適な操作感です。しかし、僕の使っているパソコンに入っているのがOffice2007と、だいぶ古いバージョンなのでクリップボードにアクセスができず、コピー&ペースト、カット&ペーストが使えない、ブラワザ上の編集ではなくOS上のWordでファイルを開くことはできない、という致命的な欠点がありました。どのバージョンからこの機能での互換性があるのかは分からないのですが、お使いのパソコンにOffice2013が入っている方なら、OneDrive上のデータにiPhoneからもパソコンからもアクセスしてすべての編集ができるということになりそうです。この点はOffice2013がインストールされている僕のsurface2を使って検証してみようと思います。(自宅「にはWi-Fi環境がないためsurface2がオフライン運用しかできないのです…)また、Excel、PowerPointも使って試したいです。
それにしても、急速に時代が変わっていくことがこういうところからも実感できますね。僕が大学生になったのを機に初めてのパソコンを買ったのが2009年。今から5年前です。何の知識もなかった(初期設定すら分からず購入特典で付いてきた初心者講座に参加した)僕は、「大学生必須のOfficeがプリインストールされています!」という宣伝に迷いなく乗っかり、大学生協推薦モデルを購入しました。プリンターや外付けHDもセットになっていて、PC自体も当時最新のintelcore2Duoを搭載していたため、僕にとってはオーバースペックでしたが、なんだかんだで活躍してくれ、いまだに現役です笑(さすがに不便を感じることも出てきましたが)。当時はOfficeといえば、パックで購入してパソコンに入れるのが当たり前で、結構高価でした。
それは今でも同じなのですが、例えばマイクロソフト製のタブレットsurfaceシリーズにはパソコンに比較すれば格安にも関わらずOffice(RT)が入っていますし、アプリとして入っているので、恐らくアップデートで買い替えることなく最新のものを使い続けられるものと思われます。
この流れをさらに加速するのが、今回も取り扱ったⅰOS向けの無料Officeアプリでしょう。すでにiPad向けのOfficeアプリはアメリカでは有料で提供されていましたが、日本では10/7の無料版リリースまでは閲覧しかできない状態でした。Officeが使えないというこの1点で「iPadかsurfaceか」で迷った僕は後者を選択することとなりましたが、現時点で選ぶとしたら、もしかしたら様々なアプリがあるiPadのほうかもしれません。

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「これからはクラウドの時代だ」とドワンゴ会長兼ジブリプロデューサー見習いの川上量生氏が、ジブリプロデューサーの鈴木敏夫氏との対談で話していましたが、PC一台とOffice環境が縛り付けられているのが当たり前でこれまで何の疑問も感じていなかったのに、こうしてたった一日で自分の使っているiPhoneにいきなりOfficeWordがやってきて、家のパソコンと作業を共有できるように変わったりすると、否応なく新しい時代に自分も参加させられていくんだなあと、一人感慨にふけってしまいました。僕のiPhone4Sもすでに3年使っている結構前のモデルですが、これを買った時にはまさかiPhoneでレポートが編集できる日がやってくるとは考えていませんでした(僕が何も考えていないだけかもしれませんが…)こうなってくると大画面のiPhone6が活きてくる場が開かれたとも考えられます。iPhone+BluetoothキーボードまたはiPad+Bluetoothキーボードという使い方は今後さらに人気になりそうな気がしますね。なんだかんだテキストを書くためだけにノートパソコンは重いというのもあるので。

坂口恭平 『現実脱出論』

『現実脱出論』を読みました。
現実脱出論.jpg
ホームレスの人達に対するフィールドワークを基にした『TOKYO 0円ハウス 0円生活』の著者で建築家・作家・絵描き・歌い手の坂口恭平氏のエッセーです。坂口氏独特の感覚が文章に落とし込まれている本であり、論理的な構成物とはまた別なので、要約するとほとんど別物になってしまうことを了承の上本記事を読んでいただければと思います。

↓本書の構成です。
プロローグ 現実さんへの手紙
第1章 疑問の萌芽
第2章 語り得ない知覚たち
第3章 時間と空間
第4章 躁鬱が教えてくれたこと
第5章 ノックの音が聞こえたら
第6章 だから人は創造し続ける
エピローグ ダンダールと林檎

以下に各章の内容をザックリ要約してみたいと思います。

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第1章 疑問の萌芽
著者の子供時代からの違和感・疑問が綴られる。両親に「現実を見ろ」と言われてもピンとこず、学習机の下にもぐって自分だけの空間を造っていた小学生時代の著者は、マンション広告に落書きして自分の理想の部屋を創り出すという趣味を考え出した。それと関連しているようだということで建築家を目指し大学の建築学科を出るが、自分はどうやら建築家になりたかったわけではないと気付く。そして大学卒業後はアルバイトで食いつなぎながら、本を書いたり絵を描いたり、話をし始める。両親はやはり、頭の良い著者に対して「現実を見て医者にでもなれ」と言った。7年ほどしてアルバイトなしで食べていけるようになり、作家になった今でも変わらないという。
著者は今でも「空間は個々人によって違い、現実は仮想空間のひとつである」と考えている。居酒屋に行った時に、人が少ない間は空間が小さく感じられるが、客が多くなってくると店の空間が広がったように感じるのはその一例である。

第2章 語り得ない知覚たち
①目
著者は自分の見ている「赤」と他の人が見ている「赤」は実は全然違う色の可能性があると感じているが、それを本質的に確かめる方法はない。また、躁鬱気質の著者は躁状態の時と鬱状態の時とでは同じ風景を見てもまるで違って見えるという。
②匂い
匂いによって昔の記憶・エピソードが瞬時に喚起されることがある。ある匂いからどのような思いでが蘇るか・どんな感じがするか分かっているものもある。
著者は甘党ならぬ「臭党」である。
著者は子供のころ、友達の家の匂いというものに敏感で、好きな匂いの友達の家には自然と多く遊びに行っていた。一方自分の家の匂いが分からない。「匂いによる空間に触れる」という感覚がある著者にとってこれは、自分の家が未知の空間に感じられる事実だたという。
③耳
レストランで偶然耳にしたBGMがすごく気に入って曲名を聞き、家に帰って聴いてみるとレストランで聞いた感覚とはまるで違ってしまっている。レストランで不意に聞いた時のほうが良かったということがある。それは「こんな音楽を聴きたいと常々思っていたのだけれど、それがどんな音楽なのか具体的には想像することができなかった」著者にとってBGMが「あ、これだったのか」と思わせるものだったからだという。具体的な音楽という形に具現化されてしまうともう頭が活性化されない。音楽とは著者にとって「言葉では置き換えられない新しい知覚を発見するための装置」である。
④線
著者はフィールドワークをする時に録音をしない。代わりに「線の言語」でノートをとる。著者が耳や目や皮膚などで知覚した声だけでなく、その声を発している人の周囲風景、天候、気配を含んだ空間全体を書くという。ここでかかれるものは、言葉・絵画・計算などの区別なく等価値に存在する。このノートの取り方をすると、当時の自分の精神状態まで取り込んだ臨場感ある空間がしっかりと立ち上がってくる。
線の言語は個々人に独自である。「現実」では読みにくい字が排除されたりすることを考えると、手紙を書いたり日記を書いたりすることは、現実脱出の一つである。

第3章 時間と空間
①時間
著者は小学生の頃、朝早く起き出し、家族が起きる前に漫画を描くなどの創作活動をひとりでしていた。この時間はゆっくりとながれ至福の時であったという。家族が起きて活動し始めると時間は途端に早く流れ出したと言い、著者は「時間は個別に存在するのではなく、集団の中で割り振られるのでは」と考えている。だからこそ著者は大人になってもできるだけ一人で・朝早く行動するようにして、一人で時間と並走するようにしている。
また、著者にとって午前1時~午前5時までの間は時間の進みが早く、5時を過ぎるとゆっくりになるとする。

②空間
一つの空間にいても、無数の視点がありその数だけ違った見え方・空間がある。(例)劇場の1階席と2階席 クラスでは人の数だけ空間が同時展開している。

③トヨちゃんのエピソード
著者25歳の時。金がなし仕事なし。バイトで食いつなぎながら、高円寺駅近くのぼろい四畳半アパートに住んでいた。そこに昼間から人を呼んでお酒を飲んで、音楽や芸術のことについて語り合うという、「芸術かぶれのどうしようもない若者」として悶々と過ごしていた。
ここで著者の部屋の向いにすんでいた30歳男性のトヨちゃんが「自殺をしようとしていた」と5年間の引きこもりの末、著者の部屋にやってくる。著者は話を聞き、(あえて自殺の方法を一緒に考えようとするなど際どい方法もとりつつ)トヨちゃんの「普通になりたい」という、複雑な願望を3点に単純化させ、⑴高円寺駅近⑵月給20万以上⑶英語とPCを使う仕事 という条件で就労を決めるまで付き合った。
晴れて就労を決めて引っ越すことになったトヨちゃんの部屋に招かれた著者は、5体の古いぬいぐるみを目にする。トヨちゃんはこの5体と会話ができ、5体に言われて著者の部屋に助けを求めたという。著者はこれを、現実世界では妄想と片づけられ排除されるということを認めつつ、太古の人間からの人間の本能的な技術だと考える。

第4章 躁鬱が教えてくれたこと
著者は自称躁鬱である(診断の有無は触れられていない)。うつ状態=おんぼろトラック
躁状態=F1車という比喩でそれぞれの状態を記述する。
著者は躁鬱を機械と考えることにしており、躁は機械の運動・鬱は脳の誤作動だとしている。「死にたくなるのは脳の誤作動のせい」という家訓を作り、感情も躁鬱の仕組みから出てくるもので、そもそも本当は人間に感情は存在しないのかもしれないと考える。
外国人が海外旅行をすることと、躁鬱の人間が現実に参入することは構造的に似ているとし、現実にうまく参入できない人は「現実旅行」をしているのだとする。現実旅行をするような人はそれがダメだと性急に考えず、独自の視点を持って周囲と関わるべきである。
現実を一つの生命体と考え、自分の思考を保ちながらそれと付き合う必要がある。これを「現実の他者化」と言い、著者は現実脱出の重要事項と考えている。

第5章 ノックの音が聞こえたら
著者は虚構と現実があいまいな世界に生きている。妻に対してその世界観からくる言葉を話す場は決まってキッチンである。妻はそれに対して「すべて事実である。しかし現実生活では実践しない」という態度を貫き、無視はしないが同調もしない。著者にとってはそのようなやりとりが、創作に入る前にある「ふるまい」となっている。

第6章 だから人は創造し続ける
①人間は思考することをやめない。それは現実という世界だけでは自由であると感じることができないからである。人間が暮らしていくために作られた仮想空間である現実に浸りきることをせず、何か別の空間を探そうとする――この空間を探し出し、自らの独自な空間をつくることが、生きることであり、思考そのものである。
②思考すること→空間をさがすこと。人は元々知っている「じぶんの空間」を参照しながら、それとは違う空間を感じ取っていく。思考とはここにおいて行為ではなく「現実と対置された空間」となる。この空間は人が内面に形成した思考という巣である。

現実とは集団を形成する上で有用で欠かせない共通の枠組みであったが、現代においてはその現実が肥大化し、本来仮想的だったはずのものが私たち個々人の思考を否定するという転倒が起こってしまっている。そのような時代にいては現実脱出が必要で、言葉にできない感情や空間の予感、創造を行いたいという思考の芽を伝え合うことがここにおいて可能である。しかし、人間が肉体を持ち、生きることができる唯一の場所は現実であることを忘れてはならず、現実を脱出し、自分の思考の巣を確認したら、もう一度現実に戻ってこなくてはならない。

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「感想」
読んでいる最中から「今回は難しくなりそうだ」と感じていたのですが、やはりエッセーを要約するというのは非常にヘビーでした。特に5章以降が著者の言いたいことをまとめ切れていないと思うので、その点は時間があればまた手直ししてみたいと考えています。
一方で僕が一番印象に残ったのは、トヨちゃんのエピソードですね。自分が臨床心理学専攻でこのようなケースを耳にする機会も多いのですが、ケース記録で聞くよりも活き活きして感じたのは作家の手による文章だからなのでしょうか。要約では省略したのですが、著者は「いのちの電話」も自分の携帯番号を公開して独自に行うということをしており、元々臨床的なことにもシンパシーがあったのかもしれません。著者の提供したものは心理士の面接や電話相談とは異なるものですが「構造をはめないで臨床ぽいことをするとどうなるのか」という実例として興味深いものでした。


参考文献 『現実脱出論』 坂口恭平著 講談社現代新書

『武器としての決断思考』

『武器としての決断思考』を読みました。
決断思考.jpg
特に意味はないですが、前回の記事『決断できる人は2択で考える』と合わせて星海社決断シリーズです笑。
京都大学で人気の教養の講義を一般向けに本にしたのが本書です。ディベートの仕組みを利用した思考法を紹介しています。

本書の構成↓
はじめに
ガイダンス なぜ「学ぶ」必要があるのか?
1時間目  「議論」はなんのためにあるのか?
2時間目  漠然とした問題を「具体的」に考える
3時間目  どんなときも「メリット」と「デメリット」を比較する
4時間目  反論は、「深く考える」ために必要なもの
5時間目  議論における「正しさ」とは何か
6時間目  武器としての「情報収集術」
7時間目  「決断する」ということ

以下にそれぞれの章をザックリと要約していきます。

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ガイダンス
自分の頭で考えて、使い捨てにされる人材ではなく、交換不可能な人材となることで、自分自身を自由にすることが大切である。そのために「知識・判断・行動の3つをつなげて考える」「変化に対応できないエキスパートでなく、本質をおさえたプロフェッショナルをめざす」「『正解』はないことを知り、自分で答えを出す」ことが必要。

1時間目「議論」はなんのためにあるのか?
①ディベートとは、議論によって、正解ではなく、「いまの最善解」を導き出すもの。
人間の認識や意思決定はゆがみやすい。議論により、個々人の考えをぶつけることで修正・より優れたものにしていくことが大切。
②日本人は議論が苦手。誤りの例としては①自分がそう思うから正しい②みんながそういうから正しい③反論をさせない がある。
③議論にルールを加えたものがディベートである。
結論よりも大切なことは結論に至る筋道であって、前提などに変化があれば結論は変えられる。「ブレない」ことそのものに価値はなく、流動的な社会において変化に適応できないことは、」悪くすれば思考停止的であり最大のリスクですらある。

2時間目 漠然とした問題を「具体的に考える」

①何について議論を行うか、決める。
漠然とではなく問題の争点を明確に「×原発をどうするか→○原発を10年以内に無くすべきか否か」「×親の介護はどうするか→親の介護は子供が担うべきか否か」「×結婚はいつしたらいいのか→結婚は20代のうちにするべきか否か」つまり、具体的な行動のレベルで決まることがディベートには向くのである。
※2択は争点が多すぎてディベートの達人でないと難しい。「×文系か理系か→△慶応文か慶応経済か、くらいまで絞れれば可能かも」

②大きな問題から小さな問題へ
「日本の大学へ進学するべきか否か」→「文系に行くべきか否か」→「法学部へ行くべきか否か」→「法律学部へ行くべきか否か」

③複数の問題が同時並行で起こった場合、ひとつひとつの問題について別々に論題を立てる。
「X社への就職か、大学院への進学か」→「X社の内定を受けるべきか、否か」+「大学院へ進学するべきか、否か」それぞれの最善解を基に新たな論題を立てる。

3時間目 どんなときも「メリット」と「デメリット」を比較する

①ディベートではある行動をとった時に生じるメリットとデメリットを比較する。

②メリットの3条件
⑴内因性(なんらかの問題があること) 
⑵重要性(その問題が深刻であること)
⑶解決性(問題がその行動によって解決すること)
※すでに解決している問題や放置しても解決するような問題は条件を満たさない。
この3条件を確認していくと、自分で自分の主張が正しいかどうかチェックできる・相手をうまく説得することができる・ダマされにくくなる。

③デメリットの3条件
⑴発生過程(論題の行動を取ったときに、新たな問題が発生する過程)
⑵深刻性(その問題が深刻であること)
⑶固有性(現状ではそのような問題が生じていないこと)

メリットとデメリットは表裏の関係にある。メリット・デメリットの3条件をきっちりとチェックすることが大切。それぞれを検証し反論を重ねていくことで結論に近づく。

4時間目 反論は、「深く考える」ために必要なもの
①反論は、メリットとデメリットが本当に正しいかどうかを検証するために必要な手順。欧米人は教育で論理を訓練されているため、これがよく分かっているので、烈しい議論 の後には何食わぬ顔で一緒に食事に行く。日本人は反論を人格攻撃とごっちゃにするので人間関係を崩しやすい。

②メリットに対する反論
〈内因性に対する反論〉=そんな問題はそもそもないのでは?
⑴プラン(論題の行動)を取らなくても問題は解決する
⑵そもそも現状に問題はない
〈重要性への反論〉=問題だとしても、たいした問題ではないのでは?
⑶質的に重要ではない
⑷量的に重要ではない
〈解決性への反論〉=重要な問題だとしても、その方法では解決しないのでは?
⑸プランを取っても別の要因が生じるため、問題は解決しない
⑹プランは問題の原因を正しく解決しない

③デメリットに対する反論
〈発生過程への反論〉=新たな問題は生じないのでは?
⑴プランだけではデメリット発生に至らない(他の条件が必要)
⑵プランの影響はデメリット発生に至るには弱すぎる
〈深刻性への反論〉=問題が生じたとしても、たいした問題ではないのでは?
⑴質的に問題ではない
⑵量的に問題ではない
〈固有性への反論〉=重要な問題だとしても、すでにその問題は生じているのでは?
⑴プランを取っていない現状でもその問題は起こっている
⑵プランを取らなくても、将来、その問題は起こる

5時間目 議論における「正しさ」とは何か
好き嫌いや実名匿名、プロアマに関係なく、その主張に根拠があるかどうか、だけが判断材料になる。
②「正しい」主張の3条件
⑴主張に根拠がある→なぜそうなんですか?と聞いてみる。
⑵根拠が反論にさらされている→前章のような反論があること。
⑶根拠が反論に耐えた→意見をぶつけあった後、それぞれの主張を比較し、いまの最善解を決める。
③主張と根拠の間には「推論」がある。
(例)【主張】Bさんはいい人だ 【根拠】お年寄りに道案内していたから
   【推論】人助けをする人はいい人だ
ディベートにおいては相手の【推論】の部分を攻める。
④推論にも大きく分けて3つある
 ⑴演繹…すべての人間は死ぬ→Aは人間である→よってAは死ぬ
 ⑵帰納…猫Aネズミ追う。猫Bネズミ追う。猫C・・・ネズミ追う→猫はねずみを追うものだと言える。
 ⑶因果関係…原因Aがあるとき結果Bが起こる→この時AとBには因果関係がある。

6時間目 武器としての「情報収集術」
証拠資料を集めることが大切。その際、適切な資料を使うこと、関係のないものや間違ったもの、結論しか書いていないものはNG。また資料に頼るだけでなく、自分でも考えること。
ネットやマスメディアの情報を鵜呑みにしたり、みんなが知っている情報に合わせただけでもだめ。「みんなこう思っているけど、本当はこうだ」という情報がいい情報。みんなが知っている情報でも、自分の目的に合わせて組み合わせることで有用なものになることもある。
大学以降の人生では、情報に接したら、それが本当かどうかをまず疑うべき。そうでないと資本主義・消費社会の奴隷になる。

7時間目 「決断する」ということ
①賛否両論あったとしても、とにかくメリット・デメリットを比較して結論を出すことが重要。感情論を排して、客観に徹して比較をした後、最後は質×量×発生可能性で判断。

②最後の最後は自分で、主観で決める
ディベートも絶対的な解を出してくれるものではなく、万能ではない。客観を経て主観で判断するためのもの。最後の最後に自分の人生は自分自身で決めなければならないのだ。
決めるため思考の筋道をつけるディベート。思考の中にこそ人間の尊厳がある。

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「感想」
こういう考え方は、大学院で論文を書く時に重宝しますね。自分の論の筋道が正しいか。どこが反論し得る場所なのか? さらにそういう視点でいると、ゼミで自分の論文計画に対して反論している先輩や先生が実は「自分はこんな感じがするから」というのを根拠に反論しようとしていることが見えて、スル―していい意見ときちんと取り入れないといけない意見を瞬時に判別できて時間の節約にもなります。


参考文献 『武器としての決断思考』 瀧本哲史著  星海社新書

何故かアクセスが2倍に!?

昨日、このブログのアクセス数の伸びが突然普段の2倍ほどになっていました。
ネコPC.jpg
それに気づいたのが朝方だったのですが、その時点では記事の更新もしておらず、最後に記事を更新してから半日以上経っていたので、どうして急にアクセスが伸びたのか分かりません。分からないのにログインするたび妙なペースでアクセスが増えていくのを見ているとどうにも原因が知りたくなり、慣れないブログの機能をあれこれいじって原因を探していました。

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アクセス解析を開いてページ別を見ると先日書いた『プライドが高くて迷惑な人』を読みましたの記事のみにアクセスが集中して流入しています。しかし、この記事は昨日の時点ですでに3つほど前の記事になっており、普段だったら既に一日2~3アクセスあればいい方の位置づけです。「そうすると、記事自体がランキングか何かに紹介されたのでは?」と思い、ソネットブログのテーマ別の記事ランキングを検索してみました。結果はNO。いくつか以前の記事がランクインしていましたが、いずれも40番代とおそらくアクセスアップにはつながらないであろう位置であったし、『プライドが~』の記事はそもそもランクインすらしていませんでした。「じゃあこのブログ自体がランクインしたか?」とも一瞬考えたのですが、それはないですね。昨日の時点でテーマ別ランキングで97番。ランクに表示される25番圏内にはまだまだの位置です。
結局原因は分からないと諦め、何気なく自分で書いたその記事を開いてみると…ようやく分かりました。設置したばかりのSNSボタン、Twitterボタンが押されていたんですね。「SNSでのシェアは影響力が大きい」とホリエモンも言っていましたが、なるほど確かにそうだと思いました。さらに「誰がシェアしてくれたのかな」となんとなく気になってリンク先に飛んでみると、出てきたTwitterユーザーは何と、著者本人の片田珠美さんでした(ビックリ) ご本人が僕の記事を読んでツイートしてくださったんですね。
これが現代のネット社会の特徴というかすごいところというか、僕のような普通の大学院生が書いた書評が、ベストセラー作家本人に読んでもらえ、さらにそのフォロワーに対してシェアしてもらえるということが起こるんですね。この「すべてのユーザーのフラット感」と「レスポンスのスピード感」はかつて無かったことのはずです。一昔前なら、大学院生の書籍への感想は仲間のゼミ生と話すくらいが関の山で、著者本人に読んでもらおうと思ったらファンレターを書いて出さないといけなかったでしょう。それも、シェアやレスポンスはおろか、読んでもらえるかどうかすらわからないというハードルの高さです。
というわけで昨日はネット社会の恩恵を少し感じられた一日でした。ブログも継続していればこうして軽いブレークスルーが起こることがあるんですね。

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ちなみにTwitter効果は一日くらいで切れ、現在のところアクセスのペースは通常に戻ってます笑
まだまだ継続が大切ですね。これからもたくさんの人に役立つ本の要約・書評ができればいいなと思っております。

『決断できる人は2択で考える』

『決断できる人は2択で考える』を読みました。
決断2択.jpg
星海社新書から出ていて、大学の書籍販売にて平積みで推していました。

本書の構成です↓
はじめに
1章 この世は2択であふれている
2章 「肌身の感覚」を研ぎ澄ませるには?
3章 成功者に達人……センスのある人はみな「2択上手」
4章 実践!「2択力」を劇的に高める具体的な方法
5章 「2択」であなたの人生が変わる
おわりに

以下にそれぞれの章の内容をザックリ要約していきます。

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1章 この世は2択であふれている
①私たちは朝起きてから夜寝るまで大量の2択をしている(例)「起きるべきか?あと5分だらだらするか?」
「生きるか死ぬか」「男か女か」はおそらく人間の根本に根ざす2択である。
③あなた自身が能動的に選択しなければ人生が楽しい方に進むことはない。
④女性を口説くかどうか迷うならダラダラせずに3塁コーチの心境で「ゴーかストップか」で決める。ストップの場合次のアタックはいつかの期限設定も忘れずに。
⑤飲食店でオーダーに迷ったら、トーナメント表や総当たり表を頭の中に描いて、メニュー同士を自分の好みに従って対戦させる。
⑥決められないのは自分の好みの基準を知らないから「俺は、これとこれならこっちが好き」と日頃から意識するべし。
⑦2択はデジタルな方法ではない。アナログな方法である。視覚的イメージとしてはグラデーションの中から、好きと嫌いの分かれ目の1点を選ぶようなこと。
⑧2択は「いいか悪いか」でなく「好きか嫌いか」である。価値判断ではなく好み。
⑨2択を続けると自分自身に気付きセンスが向上する。
⑩決断を早くして損することはほとんどない
⑪「ぬるい熟考」や「形だけの相談」などの逃げ場をつくると人は決めなくなる

2章「肌身の感覚」を研ぎ澄ませるには?
①自分の好みをより具体的に細かいレベルで知っていれば決断は一瞬で下せる。
好みはなるべく狭い範囲で考える「野球かサッカー」→「ウーロン茶か緑茶」→「コーヒー豆のコロンビアかブラジル」(下のものほど選択肢間の差が狭い)さらにマニアックな例では木目の杉と桂や、甲冑の種類等。
③2択の基本は「似て非なるもの」。「豚骨ラーメンだったら一風堂と一蘭どっちが好き?」の方が「像とバナナどっちが好き?」より会話も盛り上がるし、センスも上がる!
④決断が速いということは自己分析ができているからであり、勘がいいのは経験を経験則に定着させているからである。2択における習熟はなによりも量であり、日頃から2択を意識して鍛えるのがよい。そして選べない、自己分析が出来ていない人がカルト宗教の勧誘などに引っ掛かってしまう。選択を積み重ねることで自分の好みも形成されてくるし、エネルギッシュな人はそうして考えて獲得した好みを沢山持ち多趣味である。

3章 成功者に達人……センスのある人はみな「2択上手」
①デキる人ほど決めるのが早い。孫正義はツイッターでの会話で様々な案件を即断。タモリ・さんまという会話の達人も2択的な方法論を無意識のうちに高速で処理して人並み外れた能力を発揮している。
②会話はしゃべる・しゃべらないの2択。会話というのはマシンガントークだけが達人ではない。聞き上手になるという選択肢もある。
③仕事の話しで言えば、何でもかんでもメールはよくない、電話・FAXも場合によっては使うべき。だが現代人は電話の使い方が下手になっている。
④2択の練習ツールとしてツイッターは優れている。
⑤仕事でも人づきあいでも、場数を踏んでそこから得た経験を蓄積しておくことが大切

4章 実践!「2択力」を劇的に高める具体的な方法
①立ち食いソバのメニューを決める・居酒屋でメニューを決める・電車の中で好みの異性を見つけるなどの行動を通して、場数を踏んで自分の好みをより詳細に知っていくようにする。その際、「どうして自分はこれを好きになったのか?」と考えることが大切。ただし好きになったものを分析するのであって、順序が入れ替わって分析してから好き嫌いを判断するのはNGである。
②やるかやらないかを迷ったら「やる」。9割方は失敗するだろうが、失敗の積み重ねが「2択力」を上げていく。結果については「他責」でなく「自責」でとらえ、自分に要因があると考えることが大切。

5章 「2択」であなたの人生が変わる
2択は最近はやりのライフハック系の思考法ではなく、アナログで漢方薬的なものである。しかし、これを実践することでじわじわと人望が増し人が集まるようになる。

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「感想」
著者は元講談社の雑誌編集者で『PENTHOUSE』などを手掛けたやり手のようです。雑誌編集者時代のグラビアページ編集の逸話などが面白かったですね。200枚くらいあるグラビアアイドルの写真の中から最もセクシーで魅力的なものを選び出す作業の話だったのですが、「2択」は、これだけの選択肢の中から日常的に瞬時に判断することを要求されていた著者だからこそのテーマなのかもしれません。それ以外にも著者の幼年時代からの2択・分類的な思考法との付き合いがつづられていますが、やはり人間の主義や思想はその人の人生とは切っても切れない関係にありますね。小説家の作品も同様でしょうか。
こうして他の人が自分の人生から抽出した一世一代の考えを、読書では数時間で次々に垣間見ることができると思うと、読書って費用対効果に優れた趣味ですよね。
そしてこの著者も、努力の「量」を重視しています。とにかく何にしても継続することが結果を出すための最も確実な方法というのは何冊本を読んでも同じようですね。特に新書はそうです。

参考文献 『決断できる人は2択で考える』 石黒謙吾著 星海社新書

マックス・ウェーバー『職業としての学問』

マックス・ウェーバー『職業としての学問』を読みました。
言わずと知れた社会学者の講義録。現代の学生も必読と言われる古典です。
職業としての学問.jpg

【背景】
1919年、第一次世界大戦の最中にミュンヘンでウェーバーが行った講演の記録です。当時の若者は、「認識を超越した体験」を求めて、単なる教師に飽き足らず、自分達に道を示してくれるような「指導者」を大学に求める状況でした。ウェーバーはこのような風潮を若者の弱さであるとし、学問の本質を理解していないことだと喝破するかのようにこの講演をしたということです。

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以下に本書の内容を要約します。見出しは僕が勝手に付けています。
【職業としての学問をとりまく矛盾。学者稼業には夢がない】
ドイツの大学の雇用・昇進制度をアメリカと比較しながら論じ、ドイツでは大学に職を得ることができるか、教授などに昇進できるかは研究能力には関係なく、まさに運といういい加減な要素で決まると言う。それはたとえば次のようなことである。

職業として学問をすることには二つの異なる能力が関係する。一つは「研究者としての能力」もう一つは「教育者としての能力」である。教育者としての能力は学生を多く講義に集められるかどうかで数学的に計ることができるが、学者としての能力は計ることができない。特に大胆な学説を唱えたりする場合は尚更である。そして、学生が多くあつまる講義というのは、教師の気質とか声の調子とかの外面的な要素に依るのである。こうした外面的な要素を持って生まれるかどうかは全くの運であり、さらにこの二つの能力を兼ね備える人間というのは普通存在しない。だから、もし職業として学問をするなら、自分よりも凡庸な人間が先に昇進していくという現実を突き付けられなければならない。

【学問もアートのように情熱・霊感が必要】
学問は現在専門化の一途、細分化の一途を辿っており、それは今後も続く。だからと言って、学問は単なる機械的な計算に終始していればよいと考える最近の若い人間の風潮は間違いである。
学問も芸術等と同じように情熱、そこから出てくる霊感が必要である。機械的な計算だけから学問は進歩【せず】適切な「思いつき」が必要になる。この思いつきの能力は専門家と素人に差がない。両者を分けるのはその思いつきを検査する学問的手段を持っているかどうか、である。だから思いつきと機械的な作業両方を持つことが必要である。
学問に情熱を持つとはどういうことか。それは例えば古い文献のある一文の正しい解釈などに全身全霊を喜んで捧げるような感覚である。大切なのは仕事そのものに滅私して仕えるかどうかである。仕事を売名の道具として考えて行っても二流のものにしかならない。

【学問は価値判断から脱しなければならない】
学問は芸術と違い、どんどん時代遅れになっていく。むしろ後の世代がさらに進歩することを期待するという意味で学問は自分自身が時代遅れになることを望む領域であると言える。このような性質を持つ学問に意味はあるのだろうか?ここでウェーバーはロシアの文豪、レオ・トルストイという補助線を引きながら考察を続ける。結論は「生にも死にも意味はない」究極的には学問に意味はないとする。
(西洋の)学問は元々、キリスト教の伝統から始まった。「理性は人間の能力の内唯一神と同じ原理で働くものである。神はこの世界を創造して後去った。人間である我々は理性を用いて世界を分析し、神がこの世界をどう設計したのかを読み取ることで神の意思を読み取ろう」(橋爪大三郎『不思議なキリスト教』を参照)
だが、この初期の見解はウェーバーの時代までに忘れられ失われた。そして、学問は「世界に何らかの意味があるかどうか」という問いに答えるものでは無くなったのである。それゆえ、どの学問もその前提を論証することはなくなったしできなくなった。天文学が追求するところの宇宙の根本原理が知る価値があるかどうかは天文学には論証できず、医学によって助けようとしている人間を助ける価値があるかどうかは医学には論証できず、法律を決めることに意味があるかどうかを法学には論証できないのである。学問は価値を論じることなく、学問それ自体のために追求されるべきである。

【大学の講義で政策を話すべきでない・指導者と教師は違うもの】
学問は価値を論じるのではなく、事実の確定をするものである。街頭演説と違って反論する人間もいない環境であることをいいことに大学の講義で政策やどう振舞うべきかなどについて語ることはやってはいけない。若者たちは「体験」を大学の講義にも求めているようであるが、それはもはや現代の専門家した・脱価値判断化した学問に担えるものではない。若者たちは「指導者」を求めて、日常茶飯事化した学問を取り扱う「教師」に我慢できないのであるが、それは日常茶飯事に堪える強さを持たない、意味を求める若者が弱いのである。この日常茶飯事に堪えられない若者は職業として学問をするのではなく、大学の外で宗教や職業に従事するのがよい。

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「感想」
学問が高度に専門化し始める時代に立ち会ったウェーバーですが「これは今後も続く」と100年前に言いきっている冒頭近くですでに本書が普遍的な書として読み継がれてきたことを実感します。教師でなく、扇動家・指導者を求めてしまう・生に意味を求めてしまう心の弱さは僕にも図星な所が相当あります。名著は古びないですね。
また、学問に限らず職業で何かを達成する際に大切なのは、僕の言葉で要約すると「承認欲求に基づいてやったのではダメで、職業そのために自我を滅して集中してやること」とウェーバーが指摘していることも印象的ですね。好きこそものの上手なれ、的な感じでしょうか。有名になりたいから、他人に褒められたいからという動機でやった仕事はどこか突き抜けず、全然アートでない二流にしかなれないということですね。

参考文献
『職業としての学問』 マックス・ウェーバー著 尾高邦雄訳 岩波文庫
『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎 大澤真幸 著 講談社現代文庫

『グランド・ブダペスト・ホテル』を観てきました

『グランド・ブダペスト・ホテル』を観てきました。

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高田馬場にある名画座の早稲田松竹に行きましたが、本日が上映プログラム切り替わりの日ということもあって、立見用の整理券を渡されるほどの盛況ぶりでした。結局余った席に座ることができましたが、満員の映画館って最近あまり遭遇することがないですよね。

さて、この映画、監督のW・アンダーソンが並々ならぬ情熱をかけて撮影したということで、まさに架空の国を一から作り上げたという様相を呈しています。細かい小道具一つ一つにもリアリティを追求して、例えば劇中に登場する新聞などは、紙面丸々監督自らが創作記事を書いているということでした。他にも多数登場するエキストラ全員に背景となる物語を設定していたり(もちろん劇中では一切触れられることもない)、アクションシーンはCGのみではなく、わざわざ模型を作ってそれを基に迫力のシーンを完成させています。架空の国なのに、歴史ある東欧の国家っぽく感じてしまうのは、決して僕が日本人でヨーロッパの事情に疎いからというだけでなく、細部まで作りこまれた、完結した世界観を監督が完璧主義的に提示しているからでしょう。細部にこだわって世界を丸ごと作り上げるというスタイルが日本の黒沢明監督や宮崎駿監督に通じるものを感じさせますね。
そうして作り上げられた世界ですが、撮影の舞台はハンガリーではなく、ドイツの東部、ポーランド国境近くの街で行われたということで、非常に美しい風景が広がります。予告編ではストーリーはあまり予測できなかったにも関わらず、このいかにもヨーロッパの冬という感じの背景につられて「絶対観に行こう」という気持ちになっていたほどです。ヨーロッパの風景が好きな方はそれだけでも一見の価値ありだと思います。
さらに内容に関しては、ジャンルとしてはサスペンス+コメディでしょうか。ダレ場をほとんど作らないタイトでスピーディーな展開を基調としながら、本来ならば緊迫した場面・シリアスな場面であるはずのカットで、奇妙に浮ついた、ユーモラスな表現が織り込まれ、パラノイア的な印象があります。こういうところはフランツ・カフカの小説からの影響を思わせますね。当然起こるはずの感情が、妙に的を外されたような、どこか本気でないような形で表現される、こういう作品は普段の我々のコミュニケーションとは違う、ちょっと病的なものなのですが、だからこそクセになるんでしょうね。

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サスペンスだけにネタバレすると意味ないので、このへんにしておきます。よかったらぜひ劇場でご覧になってみて下さい。

『プライドが高くて迷惑な人』を読みました

『プライドが高くて迷惑な人』を読みました。
著者の精神科医、片田珠美氏の前著『他人を攻撃せずにはいられない人』も読んで面白かったので、早速買って来ました。

本書の章立て↓
第1章 あなたのまわりの「プライドが高くて迷惑な人」
第2章 どんな特徴があるのか
第3章 なぜ、こういう人が生まれるのか
第4章 どんなふうにつき合えばいいのか
第5章 処方箋
第6章 自分がそうならないために


以下にそれぞれの章をザックリと要約していきたいと思います。

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第一章
まずプライドが高くて迷惑な人の典型事例が4つ紹介される。
事例1:親の七光りで社長になった後、実力もないのに暴君と化した若社長
事例2:部下が自分よりできると見るや、陰で悪口を吹き込んだりして邪魔する上司
事例3:アメリカ留学を経験し、博士課程まで出たが些細なことにクレームをつけるニート
事例4:自分は出来ると思い込み、自己中心的でトラブルの絶えないOL
そしてこれらの典型事例から「プライドの高い上司7パターン」「プライドの高い同僚7パターン」を抽出する。
「プライドの高い上司7パターン」
①残業を強制②気分屋である③手柄を横取りする④称賛を要求する⑤約束を勝手に
ドタキャンする⑥遅刻・早退を繰り返し当然と考える⑦メールで叱責してくる
「プライドの高い同僚7パターン」
①みんなのルールを自分だけ無視する②自慢を繰り返す③物品を無断借用する
④面倒なことは他人任せにする⑤他人に世話になっても当然と考えお返しはしない
⑥毒舌である⑦他人の私生活にまでデリカシーなく踏み込む

しかし著者は、高いプライドが必ずしも悪いものではないと考えている。プライドにも一定の意義があるとしながら、現実とあまりにも乖離した高いプライドを持つ人とどう付き合うかや、そうしてそういう人が発生するのかを考察するとしてこの章を締めくくる。

第二章
プライドが高くて迷惑な人に共通な特徴を説明していく。
自分のやり方を押し付ける→自信の無さから、自分のやり方が一番として周囲を従わせ優位に立とうとする。
現実から目をそむけようとする→自分はルールを守る必要のない特別な人間だなどと思い込む。などなど・・
これらをまとめて次の3つの「困ったちゃん」のタイプを得ている。
①自慢称賛型:常に褒められることを望んでいる。自分が一番でないと気が済まない
②特権意識型:自分は「特別」だから特別扱いを受けるべきと確信。ルール無視する。
③操作支配型:その場を支配し、自分の優位を示さないと不安でいられない。

第3章
このような人が生まれるのは、少子化によって、親が一人一人の子供に対して大きな期待をかけ、核家族化によって、親戚や地域社会が子供の子育てに関わる機会が激減した結果、身の程を知る機会を経なかった、幼児的万能感にとらわれたままの大人になる人が増えたからである。

第4章
プライドの高い人から被害を受けないように予防するための方法があげられる。
「とりあえず、ほめる」:勘違いしている人には褒めるのが有効
「別の見方もできることを示唆」:中立の立場で高プライドの人の面目をつぶさぬよう
「どうしても必要な批判のみピンポイントで」:褒められるところはほめてから・・
「羨望をかき立てないように注意」:海外旅行の話すら地雷のことも
「反論してやっつけるのは禁物」:元々自信がないので論破すると恐れから一層ひどくなる
「格付けに敏感なことを忘れずに」:紹介の順番など細かなことでも怒り出すことが
「特別扱いはしない」:これを許容するとエスカレートして手に負えなくなる
「振り回されないように気をつけて」:できるだけ関わらない。
「ギブアンドテークを期待するな」:やってもらって当然と思っている人種である

第5章
プライドの高い人からすでに被害を受けている人がどう対処すればいいかが挙げられる。
注意する場合も具体的な行動とそれによる結果を客観的に話すべき。
批判や話への割り込みなども合理的に対話を進めていくことが大切で、感情的になって同じ土俵に上がると消耗するばかりである。
会議に毎回遅刻してくる人に対しては、特別扱いして待つことはせず、時間通り始めることがよい。

第6章
自分がプライドが高くて迷惑な人にならないためには、とにかく人とのコミュニケーションを通して「自分を知ること」、そして「自分の弱点を受け入れること」「地道な努力の積み重ねで自尊心を保つこと」である。

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感想:著者の臨床経験にフロイトの幼児的万能感の概念と、ラ・ロシュフコーからの引用を加えて、最近多くみられるという「プライドが高くて迷惑な人」を分析する本書でした。時折自分自身に当てはまることがあってドキッとしてしまうのは、こういう精神医学・心理学系の本にお決まりなのであまり気にしすぎないようにしたいと思います笑
本書で出された例にサッカー選手の本田圭佑選手があったのですが、本書執筆の時点では「プライドが高くて、ビックマウスでチームからあえて孤立していた」本田選手が持ち上げられていたにが一転、「W杯で結果を出せなかったことから戦犯として非難されている」例として書かれていました。みなさんもご存じの通り、現在は所属するイタリアのACミランで7試合6得点して再び持ち上げられまくってますね。著者の考えとしては、「プライドが高くても、実績や並外れた才能・容姿などがあれば許容される傾向がある」というようです。やはり人間は、目に見える実績が無いと何を言っても説得力が無くなってしまうということでしょうか。それにしても本田選手の例では、成績を長い目で見てもらえず、直近の試合の結果で評価があまりにも極端に揺れているところから、日本の風土がいまだに「出る杭は打たれる」状態であり、プライドが高いことを表に出すのは不利なことばかりな国なんだなあと考えさせられてしまいます。これは成功している知識人のTwitterの炎上騒ぎを見ていても、日本って嫉妬感情が正当視される国だよなあと感じていたこともあり、今度考察をしっかり書いてみたいと考えました。

参考文献 『プライドが高くて迷惑な人』 PHP新書 片瀬珠美著

『スティーブジョブズⅠ』を読みました

『スティーブ・ジョブズⅠ』を読みました。
Ⅱを先に読んでいたのですが、このたびⅠも読了しました。ジョブズが生まれてすぐに養子に出されるところから始まって、Appleを追い出されてしばらくのところまでを扱った巻です。
少年時代から悪ガキでいたずらを繰り返していたジョブズですが、頭は抜群に良かったようで、小学校での理解ある担任の先生との巡り合いもあり、飛び級をして中学に通います。
そしてハイスクール時代にはすでにテクノロジーギークとしての性質や臆さず行動に移す性質が表に現れ、HP社製のカウンターを手に入れるために、いきなりHP社のCEOに電話をかけてアルバイトとして雇われるという武勇伝もほこります。この時代に、のちにAppleの共同創業者となるもう一人の「スティーブ」ことスティーブ・ウォズニアックとも知り合い、友人になっています。二人のスティーブには、理念を持って哲学のある製品を考える才能を持つジョブズと、プログラミング技能をはじめとして、テクノロジーの高い才能を持つウォズニアックという、分業のような性質の違いがありました。性格も正反対で、理不尽とも思えるほど他人に厳しく無茶な要求をするジョブズに対して、ウォズニアックは争いを嫌う温厚な人間だったとのことです。

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ハイスクールを卒業すると、養父母はジョブズに対して大学に行くよう求めますが、息子のためにこつこつ学費を貯めていた両親に対して、ジョブズは無情にも反抗します。条件の良かったスタンフォード大学に対しては「やることの決まっている学生の行くところ。そんなのアートじゃない」と一蹴。結局リード大学というヒッピー的文化の強い小規模大学ならと渋々進学しました。入学式に両親の出席を拒んだジョブズは「放浪者がたまたまやってきた風にしたかった」と当時の心境を語り、両親の気持ちを考えなかったことを後悔していますが、この言葉を見てみると、ジョブズは非常に重い中二病にかかっていたんだなあと思ってしまいますね。大学時代は短くあっという間に中退してしまいます。ジョブズ曰く、「両親が必死の思いで貯めてくれた学費を無意味なことに費やしたくなかった」ということで、親孝行なのか親不幸なのかよくわかりません笑。中退後も大学の授業にもぐって講義を聴いて勉強していたようです。この時代はジョブズの人生の中でもトップレベルにぶっ飛んだエピソードが多く、マリファナ・LSD・禅にはまり、インドまで導師を求めて旅行したり、絶対菜食主義を貫いたりしています。「絶対菜食をすればシャワーに入らなくても体臭もしない」と固く信じ込みほとんどシャワーに入らなかったので、かなりひどい匂いがしていたそうですが、こういう時の思い込みの激しさというのは、日本人の中二病ではまるで歯が立たないレベルですね。 その後ウォズニアックの設計図を基にAppleⅠを発売しApple社の歴史が始まります。さらにリサ、AppleⅡと製品をリリースしていくのですが、ジョブズ持前の烈しい気性やすべてを思い通りにしようとする性質が祟って会社を混乱に陥れ、経営陣と対立し、ついにはAppleを追い出されてしまいました。30歳のジョブズはここからNeXTというコンピューター会社を興したり、映画会社のピクサーに出資して『トイ・ストーリー』に関わったりとAppleから離れて仕事をしていきます。そして以前の記事にもまとめを書いた『スティーブ・ジョブズⅡ』につづく。というわけですね。 全体を通して考えてみて、成功者ジョブズが、必ずしも人間的に成熟していたということはなく、むしろ子供っぽいエピソードが満載だということが印象に残りました。しかしジョブズはただ子供っぽいだけではなく、同時に非常に強烈なカリスマ性があったということで、そのカリスマ性を指して関係者の中では「現実歪曲フィールド」という言葉が作られていたほどです。じっと相手の目を見て話すジョブズを前にすると、不可能であるはずのことが可能であるような気にさせられてつい要求をのみ、結局不可能を可能にしてしまうことが多かったといいます。これは「現実歪曲フィールド」の存在を事前に意識して惑わされないようにしても抗うことができなかったとのことです。なんだか神話じみていますが、これだけ多くの証言をプロの伝記作家が集めた書籍に幾度も登場する「現実歪曲フィールド」。あながちただの言葉の独り歩きとも思えません。ある種の人間には他人を動かす一種異様な魅力が備わっているのかもしれませんね。 参考文献 『Steve Jobs スティーブ・ジョブズⅠ』        ウォルター・アイザックソン著 井口耕二訳 講談社

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