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庵野秀明『スキゾ・エヴァンゲリオン』

『スキゾ・エヴァンゲリオン』
前回の記事でご紹介した『パラノ・エヴァンゲリオン』とセットの本です。
スキゾエヴァンゲリオン.jpg
↓本書の構成
第一部
第壱章 僕たちには何もない
第弐章 物語の終わらせ方
第参章 創作とはオナニーショウである
第四章「デビルマン」とエディプス・コンプレックス

第二部
『エヴァンゲリオン』スタッフによる庵野秀明“欠席裁判”(前篇)

綾波レイとはなにか?

以下に第一部の内容をザックリ要約します。基本的に庵野秀明監督の発言部分の要約です。

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第壱章 僕たちは何もない
・『エヴァ』はオウムと共通点が多く、同時多発的な存在だった。
・一方的に質の低い文句を言うだけのアニメファンが嫌になった。皆テレビに依存している。
・『エヴァ』は自分の鏡となって返ってくるような作りになっている。情報量がやたらと多いし、見た人の投射がそのまま返るようになっている。
・庵野氏の世代は共通の体験がTVしかない「何もない世代」
・『エヴァ』のキャラクターは全員、庵野氏の人格をコアにしてできている。その意味で『エヴァ』は庵野監督のプライヴェートフィルムである。
・宮崎駿監督について、『ナウシカ』は良かった。巨神兵のシーンを手伝っている。『トトロ』くらいまではよかったが、その後はつまらなくなった。(当時公開前だった)『もののけ姫』は期待している。
・『ふしぎの海のナディア』はNHKから「『ラピュタ』をやってくれ」のような形で仕事がきた。最初は嫌だった。NHKの希望を可能な限り取り入れながら、出来るだけ排除して徐々に崩し、結果的には全力投球した作品となった。

第弐章 物語の終わらせ方
・『エヴァ』の制作後半はスケジュールががすさまじいものだった。「あそこまで「もった」ことが軌跡」。スタッフのメンタルや熱意に頼ってしまった部分が大きく、それに見合う報酬も出せていなかったため、監督としてはアンビヴァレンツな感情を持っている。
・第19話が制作班最後の総力戦だった。そこまでしたスケジュールがもたなかった。
・シンジ君は昔の庵野さんか、と聞かれるが、シンジ君は「今の僕です(笑)」14歳の少年を演じるほど自分は幼いと庵野氏は語る。
・『エヴァ』のラストは一応ハッピーエンドの体裁は取っているが、両義的である。
・全てはコピー・コラージュ・模倣であって、オリジナルなものがあるとすればそれはその人の人生しかない。「人生をつっこむ」ことでただのコピーではないものになる可能性がある。
・『エヴァ』の終わらせ方はこれまで小説や映画、アングラ演劇では試されてきたが、TVアニメでそれをやったのは庵野監督が初めてである。最終回には監督本人が実写で出る案もあったという。
・こどもが見るものであったとしても毒は混ぜるべき。そうしないと耐性がつかない。もっとも全てがエヴァのような作品だったら困るとも思う。
・『エヴァ』は庵野監督が初めて一から自分で作った作品。自分にとってチャレンジだった。終わらせ方は、広げた風呂敷をちぎって捨てた終わり方。

第参章 創作とはオナニーショウである
再び、宮崎監督作品について――「『紅の豚』はもうダメです。あれが宮崎さんのプライヴェート・フィルムみたいですけど、ダメでした。僕の感覚だと、あれはパンツを脱いでいないんですよ。なんか、膝までずらしている感じはあるんですが、あとは足からパンツを抜くかどうか」

・「自分のリアリティなんて自分しかないんですよね。うけなきゃもう裸で踊るしかない。」
・父が片足の身体障害者だった影響か、自分の作品に出てくるメカもどこか壊れていないと好きになれない。エヴァもよく奇形になった。
・コンテはぎりぎりまで描かない「神様が降りてくるのを待つ」「来た!!」という感じの時がある。
・止めで済むところは全部止めてしまって、動かすところは動かす。最小限の仕事量で最大限の効果を目指している。
・ロボットが出てくるアニメーションとしてはガンダムの1話が最高。なぜロボットに少年が乗るのかというところが自然。エヴァはそこをテンションの高さでうやむやにしてしまった。
・皆、俺を褒めてくれという考えが頭にあってアニメを作っていたが、そういう自分が嫌でもあった。それを意識せずに作ってあとは知ったことかとやったが、実際に非難があるとやはり辛い。
・この先は「降りてくるのを待つしかない」「あと10年生きて庵野さんはやっぱり『エヴァ』が最高だったねって言われるのは仕方がないと思う。」
・作中のネルフは現実世界ではアマチュア集団としてのガイナックスである。世間ではジブリのメタファと勘違いされるむきもあった。

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第四章 「デビルマン」とエディプスコンプレックス
・村上龍の『愛と幻想のファシズム』のゼロが好き。
・村上龍も自分と同じで依存心が高く何もないすごく情けない人だと思う。
・『エヴァ』もシンジが父親を殺して、母親を寝とるエディプス・コンプレックスの話。
・加持がスイカを育てる幸せも、ある種の幻想だが、全ての幸せがイリュージョンだということを認識すれば、幻想に逃避する瞬間の本人は本当に幸せなのかもしれない。
・制作中は精神分析の本を乱読して傾倒した。
・エヴァのエントリープラグはマジンガーZのパイルダ―オンをいまふうにやってみた。
・死海文書は非公開の部分があるところがよかった。
・本放送の時点で作画ができていたのが12本。フィルムまで完成していたのはわずか数本。オンエアが始まった時にもう崩壊が見えていた。
・『王立』『トップ』『ナディア』の時とかに文句を言って来た過去の嫌みな連中というイメージがゼーレ委員会にはあった。
・永井豪からの影響が大きい。『エヴァ』には『デビルマン』のイメージが影響している。また、マンガ『ナウシカ』の7巻も高く評価して影響を受けている。
・自分も他人も、世間もアニメファンもアニメ業界もあいまい。日本全体もあいまい。そのあいまいさが嫌だった。それで、自分と世間のボーダーをつくってみたいというのがある。作中ではATフィールド。
・自己言及が行き詰るのは仕方ない。自分たちの世代のヒーローであるとんねるずも、基本パロディをやっている。パロディから始めて自分のものを乗せていくしかない。
・『エヴァ』放映終了後、鬱が激しくなって自殺念慮が出たりして大変だった。
・アニメ監督の仕事は基本的に上がってくるカットに対してOKとNGを判断すること。手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。
・NGを出してもやり直していいものを作ってもらうほどギャラを出していない。
・エヴァを観た人の感想はその人の本質的な部分。心理学的にその人の本質が見えてくる。


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